スギダラツアーin吉野
天候は曇り。
日本全国スギダラケ倶楽部関西支部主催の吉野林業体感ツアー&
にっぽんの木の文化を語るフォーラム2009IN吉野が11/14~15で
開催されました。
午後2時から開催されましたフォーラムには県内外約70名の参加者が
集まり、スギダラケの活動事例を踏まえた基調講演と若手製材業者と
スギダラケメンバーとのパネルディスカッションが盛大に行われました。
その後、会場を吉野山「歌藤旅館」に移し、交流会が行われました。
参加されたメンバーは、皆さん木を愛し、木に関わりたい、そして木を
活かしたい想いをもった非常に個性豊かな方ばかりでした。
そして皆さんが口ずさんで言われていたことは、吉野杉の良さ、
恵まれた吉野の環境資源、こんなに恵まれた環境はどこにもないですよ
という言葉です。
改めて自分の町を見渡したとき、身近なものが木でできていない、
木にこだわりを持って、そこから意識改革をしていかないと明日の
吉野はないかもしれない、と感じた。
しかし、危機感を感じて参加した地元の若手製材所のメンバーが、スギダラケ
のメンバーと一生懸命語る姿に、かすかな光を感じたのも事実であった。
来年、吉野で開催予定の「樽タル大作戦」「やっ樽デー」が交流会で決定した
のも光の一歩かもしれないと感じた。
開催にあたってご尽力をいただきました石橋君を中心とする事務局の皆様、
ありがとうございました。
ちなみに本日、スギダラケ倶楽部に登録させていただきました。
新しい山林所有者との出会い
天候は晴れ。
今日は新たな山林所有者と山の見回りにいきました。
50年生山(1.5ha)、50~70年生山(1ha)、100年生山(1ha)
3ヶ所を見回りました。
山林所有者は、「先祖から受継いだ山を、このままの状態で放置して
おきたくなかった」、でも「従来の山守も高齢化し、山林管理ができない
状態でどうしようかと迷っていた」と述べられていました。
このように考えている山林所有者が多いのではと、改めて感じました。
今回、偶然か、必然か、所有者の山の隣りの山に仕事に入っていたことが
今回の新しい出会いに繋がりました。
数時間ですが、一緒に山を歩いて感じたことは、受継いだものを何とか
したいという強い想い、先祖への感謝の心が、今回の出会いに繋がった
ように感じてならない。
このような想いをもった山林所有者の期待に応えるべく山林管理をして
いくのが山守としての責務である。
新しい出会いを生む参考文献として、ご紹介させていただきます。
先日、友人のご縁で出会わせていただいた「クロイワ ショウ」さん著者の
出稼げば大富豪の本の中に書かれていた内容です。
「あのなあ。バリ島と日本の決定的な違い、なんかわかるか?」
「仏壇や」
「ようするにな。先祖を敬う心が薄なったんや」
「バリ島の家見てみ、どの家にも神棚があるやろ。
おまえが神様やったら、日本とバリ島どっち住みたい?」
「せやろが、日本はな、いつのまにか、ご先祖様を敬うっちゅう
当たり前のことができへんようになってもうた。
仏壇、粗大ごみで出したりするやろ?」
「だから、神様はどんどんバリに引越してるで。なんでも合理的に
やりすぎた。合理化目指し続けた結果や」
バリ島で23の会社を持っている日本人「丸尾」さんの話です。
私も非常に共感できる部分が多く、日本人の心として失いかけている
内容を鮮明に書かれています。
近いうちに、バリ島に飛び、丸尾さんと会って、話をしたいです。
杉伐採時の色合い
天候は晴れ。
杉材は非常に水分が多い木で、伐採してから約3ヶ月~6ヶ月、
150年を超えると1年以上山で葉枯し乾燥し、出材します。
葉枯し乾燥する理由は、杉材に含まれている水分を少なくし、
木そのものを軽くし、出材しやすくするためです。
もう一点、吉野材特有の色合いをだすために葉枯しをします。
左右写真(10/5伐採)は同じ日に伐採した杉ですが、
伐採したときから色の違いがあります。
右写真の杉材は、中心部が赤く回りが黒くなっていますが、
乾燥するにつれて徐々に赤くなっていきます。
赤くなることを色がでるといいます。
伐採時に切り口全体が真っ黒な木もありますし、葉枯らしを
しても、色がでない木もあります。
杉材は、色をあわすのが難しいといわれる理由がここにあります。