ハッピースポット完成除幕式
2/14(日)14時から吹田市佐竹台小学校にてコミュニティースポット
完成除幕式が行われました。
吹田市長、吉野町長はじめ多くの来賓、関係団体の方が参加され、盛大に
開催されました。
完成除幕式テープカットの様子
テープカットは桧の薄皮で行いました。新しい試みでこれから使えるかも??
いよいよ除幕式(左から吹田市長、吉野町長、校長先生、日向建設社長)
みんなの想いがこもったすばらしいコミュニティースポットができました。
愛称は子供たちの募集で決定したハッピースポットになりました。
人と人のつながりでできたハッピースポット、山と街をつなぐ
吉野若手木材軍団「チーム カスガイ」の真の挑戦は、これからだ!!
校長先生がコミュニティースポットプロジェクトにおける感想の中で「ほんまもん」
という言葉を話されておりました。子供たちに「ほんまもん」を伝えたい、これこそ
吉野がしなければならない、伝えなければならない基本原則だと思います。
「ほんまもん」とは素材・技術・歴史・人が一つになって
伝えられるものだと思います。
日が暮れ、明かりがともったハッピスポットを見ていると、「ほんまもん」を感じた。
コミュニティースポット建築プロジェクト
木と子供達がつながる!!
吉野の想いと都会の想いがつながる!!
吉野町と吹田市がつながる!!
「カスガイ」のような存在を目指して立ち上がった吉野若手軍団!!
2月14日の完成除幕式に向けて奮闘中!!
このプロジェクトは、地域の安心安全を守るため、吹田市が進めている事業です。
警備員さんの見守りスポットを兼ねて、子供たちや地域の方が、立ち寄れるスポット
作りを行っています。
今回、関西スギダラケ倶楽部のつながりで、吉野材でコミュニティースポットが
できないかということでこの事業がスタートしました。
現在の警備員さんの見守りスポット
新しく生まれ変わろうとしているコミュニティースポット
子供達もキッズカーペンター(子供大工)として参加し、楽しそうに
作業をしていました。
この日は今年一番の寒さという天候ではありましたが、
子供達が、一日中木に触れている姿をみていると、この光景こそが
本来日本人が住むべき住宅の原点だと強く感じました。
2月14日の完成除幕式が、新たな展開を生む日になるかも!!
バレンタインデーではなくカスガイデーになるかも・・・・・
山林地開け(火入れ)
伐採跡地には、残木や枝葉などがたくさん残るため、新たに植林するためには
土壌を整備しなければなりません。土壌整備として、昔は頻繁に山林地開けが
行われていました。
近年では、木材価格の下落や、山林労働者の不足により、山林地開けは
ほとんど見られなくなっています。
特に火入れによる山林地開けは、山林火災の危険等のリスクがあるため
激減しているのが現状です。
吉野林業は密植による育林が特徴の一つでもありますが、火入れによる地開け
をすることにより、山林面積を最大限に活用できるメリットと後の下刈り等の作業が
スムーズにできるメリットがあります。
しかし、現状においては、山林労働者の不足と経費を極力抑えるために、植林する
場所だけ地開けを行うケースがほとんどです。
今回、道路の近くの山林ということもあり、危険の少ない箇所の火入れ地開けを
行いました。
この火入れ作業を行うにあたっては、当然行政並びに消防署等の許可は
必要です。また、作業天候についても、雪や雨など火災リスクの少ない日に
行います。この日も午後から雨が降る天候の中、行いました。
この山林は、吉野町の玄関口として、1000本の桜でお迎えし、木の発信が
できる交流の場として、活用できたらと考えております。
桜の花が咲くには、もう数年はかかるかな?
山の神
新年明けましておめでとうございます。
山の一年のスタートは、1月7日の山の神へのお参りから始まります。
山に携わる人が、一年の息災を祈願いたします。
年々、山に携わる人が少なくなり、高齢化しているのが現状です。
私の住む吉野町においても、林業労働者を抱え、素材業として事業を営んでいる
業者は、数えるほどになっています。
日本の林業政策を視野に入れながら、地域独自の林業政策を打ち出さなければ、
先祖から受継いだ山を守ることができない状況まできています。
守るべきものを見極め、形を変え進化する勇気が、今吉野林業に必要であると
感じます。
進化し続ける奈良の企業、中川政七商店、中川社長は「伝統工芸は上手く需要を
つかみ、商売を成功させたから、伝統産業になれた。変化する時代に適応する
ことは伝統産業の定義に反していない」と1月6日の日本経済新聞にて説いている。
山という大きな自然の神と向き合いながら、今年一年、進化できるよう挑戦したいと
思います。
おごそかな忘年会&御祝い会
一年間の労をねぎらい、川上村の山鳩湯で忘年会を行いました。
山鳩湯の温泉で疲れを癒し、名物の鴨鍋をいただきました。
温泉といい、鴨鍋のだしといい、最高です!
そして、今年7月から山林労働を始めたIターン倉山君が
めでたく入籍したということで、お祝いも兼ねて行いました。
若い力に期待してます。
日本全国スギダラケ倶楽部会員証
遂に日本全国スギダラケ倶楽部の会員証が届きました。
今回の会員証の杉は神奈川県相模原市藤野町の杉だそうです。
スギダラな活動のためには、欠かすことのできない会員証なので、
大切に愛用したいと思います。
ちなみに私の会員番号は962です。1000番は誰になるのかな?
雪化粧
今回の寒波で吉野も雪化粧となりました。
今年最後の原木納め市に、木材を出荷する予定なのですが、
ご覧の通りの積雪で、2、3日は仕事ができないかな??
今年は原木丸太の出荷量が、木材価格の低迷により少なかったので、
この雪でさらに減少するでしょう。
川上村や天川村の奥山では、根雪となり3月頃まで雪が解けないところもあります。
吉野エコモ
本当に久しぶりの投稿になります。
12月定例議会も無事終了し、いよいよ今年もラストスパートの時期に入って
まいりました。
材木にとってこれからが旬の季節です。
山の状況、できるだけ多くの情報をお伝えさせていただきます。
今日は吉野町で地域の資源を活用し、商品開発に取り組む吉野エコモの
会議に出席しました。
本日はあかり工房の坂本尚代さんの新商品香り(アロマライト)のモニターを
プロダクトデザイナーの北井氏、インテリアデザイナーの中島氏、エコモメンバー
で行いました。
続いて、我社のピュアティックの商品提案について説明し、色々な意見提案を
いただきました。
ディスプレイ用シェルフとして販売していく方向性と同時に、家庭に入り易い
商品として進めていくことに決まりました。
目標を定め、一日も早く、吉野の木のぬくもりを、届けれるよう商品開発に取り組みたいと
思います。
スギダラツアーin吉野
天候は曇り。
日本全国スギダラケ倶楽部関西支部主催の吉野林業体感ツアー&
にっぽんの木の文化を語るフォーラム2009IN吉野が11/14~15で
開催されました。
午後2時から開催されましたフォーラムには県内外約70名の参加者が
集まり、スギダラケの活動事例を踏まえた基調講演と若手製材業者と
スギダラケメンバーとのパネルディスカッションが盛大に行われました。
その後、会場を吉野山「歌藤旅館」に移し、交流会が行われました。
参加されたメンバーは、皆さん木を愛し、木に関わりたい、そして木を
活かしたい想いをもった非常に個性豊かな方ばかりでした。
そして皆さんが口ずさんで言われていたことは、吉野杉の良さ、
恵まれた吉野の環境資源、こんなに恵まれた環境はどこにもないですよ
という言葉です。
改めて自分の町を見渡したとき、身近なものが木でできていない、
木にこだわりを持って、そこから意識改革をしていかないと明日の
吉野はないかもしれない、と感じた。
しかし、危機感を感じて参加した地元の若手製材所のメンバーが、スギダラケ
のメンバーと一生懸命語る姿に、かすかな光を感じたのも事実であった。
来年、吉野で開催予定の「樽タル大作戦」「やっ樽デー」が交流会で決定した
のも光の一歩かもしれないと感じた。
開催にあたってご尽力をいただきました石橋君を中心とする事務局の皆様、
ありがとうございました。
ちなみに本日、スギダラケ倶楽部に登録させていただきました。
新しい山林所有者との出会い
天候は晴れ。
今日は新たな山林所有者と山の見回りにいきました。
50年生山(1.5ha)、50~70年生山(1ha)、100年生山(1ha)
3ヶ所を見回りました。
山林所有者は、「先祖から受継いだ山を、このままの状態で放置して
おきたくなかった」、でも「従来の山守も高齢化し、山林管理ができない
状態でどうしようかと迷っていた」と述べられていました。
このように考えている山林所有者が多いのではと、改めて感じました。
今回、偶然か、必然か、所有者の山の隣りの山に仕事に入っていたことが
今回の新しい出会いに繋がりました。
数時間ですが、一緒に山を歩いて感じたことは、受継いだものを何とか
したいという強い想い、先祖への感謝の心が、今回の出会いに繋がった
ように感じてならない。
このような想いをもった山林所有者の期待に応えるべく山林管理をして
いくのが山守としての責務である。
新しい出会いを生む参考文献として、ご紹介させていただきます。
先日、友人のご縁で出会わせていただいた「クロイワ ショウ」さん著者の
出稼げば大富豪の本の中に書かれていた内容です。
「あのなあ。バリ島と日本の決定的な違い、なんかわかるか?」
「仏壇や」
「ようするにな。先祖を敬う心が薄なったんや」
「バリ島の家見てみ、どの家にも神棚があるやろ。
おまえが神様やったら、日本とバリ島どっち住みたい?」
「せやろが、日本はな、いつのまにか、ご先祖様を敬うっちゅう
当たり前のことができへんようになってもうた。
仏壇、粗大ごみで出したりするやろ?」
「だから、神様はどんどんバリに引越してるで。なんでも合理的に
やりすぎた。合理化目指し続けた結果や」
バリ島で23の会社を持っている日本人「丸尾」さんの話です。
私も非常に共感できる部分が多く、日本人の心として失いかけている
内容を鮮明に書かれています。
近いうちに、バリ島に飛び、丸尾さんと会って、話をしたいです。